ミシン商業史概論 (要約)
現在のミシンが完成されるまでには、古代(石器時代)より身にまとう「衣」には大いなる努力が払われ、衣類の発達と共にミシンも次々と改良が加えられ現在に至っております。
★ 古代の裁縫
穴居時代より次第に身にまとう「衣」に関心が起こり、石や骨などで皮に孔(あな)をあけて紐で綴じ合わせた時代から金属針の出現まで、実に数万年も要したのでございます。ドイツで発見された「石器時代」の遺物の中には、大きい針は馬やカモ鹿の骨、細い針はアルプス兔の骨であったと伝えられています。石器時代は石の錐で毛皮に孔を開けて縫い合わせるものもあったが、「青銅時代」に入ってから青銅で作られ、針の先端を尖らせて軸の一端に穴が開けられ、形状は今も使われている手縫いの針と同じであったと言われています。英国に製針業が起こったのは、今から「400年前」といわれているが、ドイツではもっと古く「570年前」ニュールンベルヒに縫針製造組合ができていたといわれているです。
★ ミシンの誕生
すべての衣服は、一針一針手で縫われていましたが、これを他の機械のように自動化するために昔から幾多の発明家が非常な苦心を重ねてきた。その結果、とにかく裁縫機械らしいものができたのは、英国資料参照すると、ウィリアム・リーが妻の毛糸を編むのを見て、その針の動きを調べて、これを機械でやらせることを考え「1589年」毛糸の機械編みを考えた。これがメリヤス編みの祖先となると同時に今日の一本糸を使用する「カン縫いミシン」のはじめであり、最も古いミシンの研究であるといわれている。「1755年」ドイツ人のチャールズ・ワイゼンダールの両端が針で中間に孔のある針を使った裁縫機械が作られ、これが世界最初のミシンであるとも言われているが、いずれもミシンとはいえない程度の甚だ不完全なもので実用には適しなかったと伝えられているです。
★ 日本国内のミシン
日本に初めてミシンが渡来したのは、万延元年(1860年)5月幕府の遣米使節に通訳として同行した、中浜万次郎のアメリカ土産として手回しミシン1台を持参輸入したのが、我が国最初のミシンであると言われています。明治維新以降泰西(西洋)文明の輸入が活発となり、生活様式も一変して西欧のミシンが日本に現れ始めましたが、特に独逸(ドイツ)製のミシンが多く使われていました。明治40年(1907年)頃には、米国製のミシンも輸入され、アメリカ製とドイツ製のミシンの猛烈な競争時代となりました。その後シンガーが我が国に現れ、幾多の苦難を克服して、ミシンの便利さを啓蒙し、多くのミシンを普及して結局はシンガーの一人舞台となりました。我が国のミシン製造の歴史は大正元年(1912年)大阪の関根安治氏が15種と同型のミシンを作って、大正博覧会に出品したのが文献に見られ、その後大正10年1月東京滝野川(北区)に亀松茂氏がパインミシンを設立し家庭用ミシンの製造に着手して、日本におけるミシン発展の基礎を作り今日に至っております。
つづきは次回。
ステッチヒストリーとステッチシステムについて今度書くこと。
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